昭和52年12月10日 朝の御理解 光昭先生



 御理解 第46節
 「痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもめながありがいのぞ。」

 親先生とほかの信者さんと、こんかい報徳祭で御本部参拝されておられるんですけれども、いつもは若先生はあのう報徳祭の時にはいつもおられたんですけど、急になんかあのう親先生が行けと言う事で、若先生も御本部参拝に参られましたので、代わりに私が親先生のお手代わりをさして頂いて、きょう一日を留守を守らして頂く訳ですけれども、今日まぁ始めてあのう親先生のしておられる様な、本当はもう形だけですけども、しておられるような形であのう、天地の遥拝させて頂いて控えに座らして頂いて。
 もう本当に初めての体験だったんですけれども、まぁあのう親先生と言う方は本当にあのうそのう何と言うですかね、ムード派だなぁと言う感じが致しますね。もう神様に向かう姿勢と言うのが、もうとにかく有り難う有り難くなろう有り難くならして頂こうというその思いだけで、あのうその思いをもう本当にこうあのうさせれる、されるというですかねそういう場を本当にあのう作られ。
 例えばそのう30分前から控えに入ると控室に入って、しんみりと坐っておけば、本当にもうしかも僕が初めてこうやって仕えさして頂いても。私の様なものでも本当に有り難くなれれるつうんですから、もう本当に不思議っていうんですかね。そしてあのうその時間が経つにつれとにかく静ぅかな時間に、あのう外であのう水がお手洗いの水がチョロチョロとそのう、とこも本当に透き通った音であのう流れておるのを聞いたら、もう本当に前からよく親先生が言われる。
 あのう本当に血が入れ替わる様な思いをさして頂くんですけども、本当にもう生き生きした血が入れ替わって、あのう何と申しますかね。本当にむせだわあのう日に日に新になれれるなと言うか、新たな自分をもう毎日頂いて行けれるなぁというものをここに感じさして頂いたんですけどね。まぁそういう時間がまぁこう経ってそれこそ何か表現がおかしいかも知れませんけども。
 あのうあの喫茶店なんかであの恋人との待ち合わせみたいな、何かあのう本当にこう座っとってここ戸を開けて来るのをもう本当になんか今か今かと言う様なあのこう待ちに待ちこがれてちゅうですかね、でその4時ねなったところでこう上がって来る。そしてもう最高のそのう神様に会いたいというその最高の思いで、そのう御神前に入っていく時にもうあのう何て本当にあのう電気に打たれると言うか。
 もう親先生があのう神様の方で一番最初にこう拍手四拍手をされないのが、本当分かった様なかまぁ分かった様な感じがしたんですけども。とにかく神様の前にこう座りぬいたらもうあのう、すぅと本当にあのう顔をあげて改めて四拍手する余裕のないような、あのう感じでそのまんま御祈念に入らして頂いたんですけれども。まぁこうやってあのう親先生がされていることを、こうまぁ本当に形のただ形の真似なんですけれども。
 さして頂いてこういう、そしてあのうまぁ今日のそのうご祈念中に頂いたのがスローモーションと言う様な事を頂いたんですけども、スローモーションと言う事その時にはなんも分からんでしたんですけども、あのう例えば一日の自分の生活をあのう、すぅっとあのう終わらかしてみると、何て事ないんですけどもそのう例えばあのう野球とかあのうそういうスポーツ番組なんかは。
 あのう一遍やったところをあともう一遍こうスローモーションで見せますね。とそのうスローモーションで見ると、なるほどと言うあのうこう例えばカーブでもそのうドロップでも見える様に、そのう自分の信心姿勢というのを改めてそのスローモーションに掛けた場合と言うですかね、スローモーションで見た時に、はぁ本当に荒い信心というか、もう本当にざぁっとして行ってるのが目に見えると言うですかね。
 そういうあのうこう改めてあのうスローモーションで見せて頂くと言うのを見せて頂くと。そういうあのう本当に自分の信心の粗い事に気付かして頂くんだなというものを、まぁこう感じさせて頂くんですけど、そしてあのう今日このう御理解46節を開かして頂いて、あのうまぁあのう親先生のあの頃から借りるならば、まぁ私なりにそのしじゅうむと頂いたんですけどもあのう本当にあのう。今日のようなあの朝のあのひと時の様な、本当にぐで今日一日過ごさして頂くならばあのう何時もまめな事とと言う事は。
 それが本当に有り難い何時もが刻刻がもう有り難い。ただあのうこうやって今日こういう御用が出来たけん有り難いんじゃなくして、あのう本当にあのう何時どこをこうぱっとスローモーションで見せられても、見てもあのう有り難いなぁというものがですね。こう出て来るそう言うものを本当にあのう頂けれるじゃないかというものを。あのう今日のまぁ御理解とまぁどう繋がるかは分かりませんけど、何かそのう無にならして頂いておる、そしてそのう本当に神様にあのう有り難い。
 そのう心をそのう無になして神様にそのう募らせると言うですか。恋と言うか愛というものを、その自分の思いというものを募らせれば募らせ程、そのう無と言う世界に募らして頂けるような感じ。そういうのがあのう本当に今日一日、それこそ四十そういう気持ちでおらして頂いた時に。そのうどこをあのう見せて頂いてもスローモーションでどこを見せて頂いてもあのう本当にまぁ何と言いますかね。
 雑でないと言うですかどこを見せても、本当にあのうおかしくない様なあのう信心と言うのが、出来ているんじゃないかというものを感じさせて頂きます。きょう月次祭ですのでまぁ月次祭までにはまぁ間に合われると思いますので、それまでの後にここに留守を守らして頂く者として、今日一日どうぞただあのうおられないからと言うのじゃなくて、本当おられないからこそいわゆる引き締めて、今日一日親先生のお留守を守らして頂きたいと思います。
   よろしくお願いいたします。